腰のあたりまで一気に伸びた薄紅色の髪に、唖然として目を見張る。
「す、すごい……」 「まあっ、なんとよくお似合いでしょう!」 ナタリナの感嘆する声に、目を瞬かせた。 鏡には、ふわりと柔らかく波打つ、薄紅色の長い髪が映っている。髪の色と長さが変わっただけで、まるで別人のようだ。 「髪の色、キレイ……」 ぽつりと呟くと、鏡の中の少女も、同じように口を動かす。 瞬きすれば、同様に真似をする。 (……これが、僕?) 驚きのまま鏡を凝視していると、クロエがにこやかに笑いかけた。 「エマヌエーレ様。お化粧を致します」 「あ、はいっ」 令嬢は化粧もするのだと思いだし、鏡の前で身を正した。 化粧も初めてで、クロエに化粧水や乳液を塗りこまれたり、筆でくすぐられたりして、慣れない感触に逃げ出したくなる。目を閉じておくように言われたので、エマは目をつむったまま、化粧が終わるのをひたすら待った。 ようやく化粧が終わると、最後に薄い絹のリボンが喉元に結ばれる。 「終わりました。エマヌエーレ様、どうぞご覧下さい」 クロエの声に、やっと目を開ける。 鏡を見て、また驚いた。 「えっ?」 エマの頬はうっすらと紅潮し、唇は薄く艶を帯びている。 薄桃色の髪は、耳の上から取った髪束を左右で編み込み、後ろでひとつに結い上げられていた。結び目には、ドレスと同じ蜂蜜色のリボンが結ばれ、小さな白い花の飾りが添えられている。 残る髪は肩から背にかけて流れ落ち、光を受けてやさしく輝く。 妖精のように可憐な少女が、鏡の奥から驚いた顔で見つめていた。 「なんとお美しいっ!!」 ナタリナの感激した声が聞こえる。 クロエも満足そうな顔で頷いた。 「ええ。春の女神のようです。このように素晴らしい機会を与えて頂けて、誠に光栄ですわ」 二人からの賞賛も、エマの耳を通り抜ける。 (この少女が、僕?)腰のあたりまで一気に伸びた薄紅色の髪に、唖然として目を見張る。 「す、すごい……」 「まあっ、なんとよくお似合いでしょう!」 ナタリナの感嘆する声に、目を瞬かせた。 鏡には、ふわりと柔らかく波打つ、薄紅色の長い髪が映っている。髪の色と長さが変わっただけで、まるで別人のようだ。 「髪の色、キレイ……」 ぽつりと呟くと、鏡の中の少女も、同じように口を動かす。 瞬きすれば、同様に真似をする。 (……これが、僕?) 驚きのまま鏡を凝視していると、クロエがにこやかに笑いかけた。 「エマヌエーレ様。お化粧を致します」 「あ、はいっ」 令嬢は化粧もするのだと思いだし、鏡の前で身を正した。 化粧も初めてで、クロエに化粧水や乳液を塗りこまれたり、筆でくすぐられたりして、慣れない感触に逃げ出したくなる。目を閉じておくように言われたので、エマは目をつむったまま、化粧が終わるのをひたすら待った。 ようやく化粧が終わると、最後に薄い絹のリボンが喉元に結ばれる。 「終わりました。エマヌエーレ様、どうぞご覧下さい」 クロエの声に、やっと目を開ける。 鏡を見て、また驚いた。 「えっ?」 エマの頬はうっすらと紅潮し、唇は薄く艶を帯びている。 薄桃色の髪は、耳の上から取った髪束を左右で編み込み、後ろでひとつに結い上げられていた。結び目には、ドレスと同じ蜂蜜色のリボンが結ばれ、小さな白い花の飾りが添えられている。 残る髪は肩から背にかけて流れ落ち、光を受けてやさしく輝く。 妖精のように可憐な少女が、鏡の奥から驚いた顔で見つめていた。 「なんとお美しいっ!!」 ナタリナの感激した声が聞こえる。 クロエも満足そうな顔で頷いた。 「ええ。春の女神のようです。このように素晴らしい機会を与えて頂けて、誠に光栄ですわ」 二人からの賞賛も、エマの耳を通り抜ける。 (この少女が、僕?)
「このドレスにしましょう!」 二人の意見が一致して選ばれたのは、陽だまりのような、やわらかな色合いのドレスだった。光を受けてきらめく絹の生地は、蜂蜜色から淡い金へと色を変えながら、胸元から裾へと流れるように繊細なレースをまとっている。 胸のあたりまで隠れるデザインで、鎖骨が見える程度だろう。カミラ嬢が着ていたような、艶やかで官能的なデザインではない。露出が少ないことに安心した。 「エマヌエーレ様。コルセットが少しきついかもしれませんが、体型を保つためですので」 「う、うん……」 クロエの言うとおり、コルセットを締めると苦しかった。 女装をすると聞いて心配していた胸の部分は、コルセット自体に胸のふくらみが象られていて、そこに特殊な詰め物をすると、体型に違和感がなくなる。 布製のパニエをつけてドレスを着ると、一気に女性らしくなった。 「可愛らしいですわ、エマ様!」 「ありがとう、ナタリナ」 「次はこちらへ。エマヌエーレ様」 クロエに促されて鏡台の前に座る。台の上には、小瓶に詰められた香油や、粉白粉(こなおしろい)、薄紅、筆道具などが整然と並べられていた。 エマは初めて見るものばかりで、興味深く眺める。 「あぁ、惜しいですわ」 エマの後ろに立ったナタリナが、残念そうに呟く。 「どうしたの、ナタリナ」 「いえ。せっかくエマ様が可愛らしくなりましたのに、御髪(おぐし)の長さが残念で」 「それは仕方ないよ」 男のエマが、髪を伸ばしている方が不自然だ。 それに女性騎士は髪の短い人が多いから、ドレスを着る場面では髪飾り等で工夫していると聞く。 今回の女装も、そうすれば問題ないと思っていたが。 「あら! わたくしったら、うっかりしてましたわ」 クロエが、ポンと手を打った。 そして、エマとナタリナに向かって、ニッコリと微笑む。 「エマヌエーレ様の御髪についても、きちんと用意してありますのよ」 クロ
ルシアンが軽く頭を下げて詫びる。 ナタリナは驚いたように瞬きした。伯爵であるルシアンが侍女に頭を下げるなど、普通はありえないからだ。 「いえ……デイモンド伯爵に頭をお下げいただくようなことではございません。私こそ、出過ぎた真似を致しました」 ナタリナは頭を下げて、エマの後ろに控える。 クロエはエマを見つめて、嬉しそうに微笑んだ。 「ルシアン殿の仰ったとおり、素晴らしい素材ですわ」 「クロエ。言葉を選んで下さい」 「ま、わたくしったら、つい」 クロエはクスクスと笑って、控えていたメイドに合図を送る。 そして、エマの前で深く膝を折った。 「エマヌエーレ様。本日はわたくし、クロエが、着替えをお手伝いさせて頂きます」 「あ、ルシアン様が仰っていた、変装のことですか?」 「さようでございます。エマヌエーレ様には、こちらをご用意いたしました」 そう言ってクロエが指し示した先には、可愛らしいドレスが数着ある。黄色に薄桃色、水色と黄緑と、春らしい色合いのものばかりだ。 「あのっ、これは、女性のドレスでは……?」 エマが戸惑っていると、クロエはにこやかに頷く。 「ええ。このお姿でしたら、外出されてもエマヌエーレ様だとは気付かれませんわ」 「え、でも……!」 (僕がドレスなんて、似合うはずないよね?) 女装をするのだと言われて、エマは及び腰になった。 とっさにナタリナを振り返ると、なぜか感心したような顔をしている。 「たしかに、エマ様によくお似合いかと思いますが」 「ナタリナ!?」 「エマ様は、とてもお美しい方ですから」 ナタリナのうっとりした声を聞いて、エマは援護を諦めた。 (もうっ、ナタリナは僕のこと美化しすぎだよ!) 「あの、僕が女装なんて、おかしいですからっ」 エマは精いっぱいの反論をするが、そこへルシアンが口を挟んだ。 「おかしくありませんよ、エマ」
ルシアンの言葉に、エマはワクワクしてきた。 皇太子も王太子もいないので、失敗を恐れて緊張する必要もない。 (ルシアン様をご案内できるなんて……しかも、二人きりって!) 憧れのルシアンと、一緒にいられるのだ。 エマは浮かれそうになったが、脳裏にレオナールの姿がよぎる。 「ぁっ……でも……」 「どうしました?」 「その……先日、ルシアン様をご案内させて頂いた件で、王子に酷く叱られてしまいまして……」 もし、ルシアンと一緒にいると知られたら、レオナールは激しく怒るだろう。 いくら王命だと言っても、レオナールは自分勝手な理屈でエマを責める。このことが知られたら、どんな仕打ちを受けるか分からない。 エマは俯いて、両手をぎゅっと握りしめた。 (また、折檻を受けるかもしれない……っ) 思い出すだけで、身が竦む。 尊厳を踏みにじられ、苦痛に泣き叫んでも、許してもらえない。 あの時の恐怖に怯えるエマは、気付かぬうちに体を震わせて黙り込んだ。 (やっぱり、体調が悪いって言って、断った方がいいのかな……) ルシアンなら、エマが断っても許してくれるだろう。 せっかく、好きな人と一緒にいられる機会だったのに、それを手放さないといけないなんて。 「……も、申し訳ないのですが、」 「エマ」 そっと頭を撫でられる。 優しく呼ぶ声に、おずおずと顔を上げた。 「エマ、大丈夫ですよ」 ルシアンが優しい顔で微笑んでいた。 見惚れるほど端麗な顔に、輝く赤い瞳。間近で見つめられ、エマの胸が高鳴った。 (ルシアン様っ) ドキドキしていると、ルシアンがまたエマの頭を撫でる。 「心配することはありません。第二王子が狭量な人間なのは承知してます。エマは今日、王太子殿下の補佐として、馬がけに行っていることになっていますから」 「えっ?」 「王太子殿下にも、了承を得ています」
「エマ様……カミラ様が仰った言葉を気になさる必要はございません」 ナタリナが慰めるように、エマの背中を撫でた。 平民のエマには後ろ盾がないから、衣服はすべて支給品のみで、私服もなく装飾品も持っていない。 貴族出身の『聖樹』は、法衣でも、宝石をちりばめて美しく着飾っていたし、ブローチや指輪もつけていた。西殿(さいでん)では、ときどき聖樹同士でお茶会が開かれるが、その際は法衣以外の服装も許されている。 お茶会に呼ばれたことは片手で数えるくらいしかないけど、いつもエマは法衣のまま出席した。他の服を持っていなかったからだ。 「僕は王子の婚約者なのに、質素な法衣しか持ってない……カミラ様は素敵なお召し物で、とても美しかったのに」 「カミラ様は公爵令嬢ですから、比べても仕方ありませんわ」 「うん……」 「第二王子は、エマ様を貶めて喜ぶような男です。エマ様は何も悪くありません」 優しく背中をさする手に、エマもコクリと頷いた。 (王子やカミラ嬢の言うことは、気にしないようにしなくちゃ……) いちいち傷ついていては、ナタリナまで悲しませてしまう。 エマは支度を調えると、ナタリナを連れて天耀宮(てんようきゅう)へ向かった。 北殿(ほくでん)の天耀宮へ到着し、控えの間で待っていると、ルシアンがやってきた。 銀色の長い髪を一つに結び、赤い瞳が穏やかにエマを見つめている。 今日の服装も素敵だった。 春の時期に相応しい、深緑色の外套に、生成りのハイカラーシャツと、薄いグレージュのベスト。ボタンには琥珀色の石があしらわれていて、とても洒落たデザインだった。 (ルシアン様は、いつも素敵なお召し物だ) 洗練された貴族らしい格好に、美しいルビーのような赤い瞳が魅力的で、つい見惚れてしまう。 そんなルシアンに比べると、自分の服装が
「エマヌエーレ様。明日、王太子殿下とお会いしたさいは、ぜひ見舞い品のご感想をお伝え下さい」 「あ、はい」 エマはぺこりと頭を下げた。 侍女長がエマを睨んでいたようだが、無視する。 補佐官が控えの間を出て行くと、侍女長は目をつり上げて怒鳴った。 「レオナール様のご命令に背くなど、何を考えているのです!」 「申し訳ございません、侍女長」 「仮にもレオナール様の婚約者という栄誉ある立場に置いて頂きながら、王太子殿下に取り入るとは、なんと浅ましい!」 エマは頭を下げたまま、侍女長の罵倒を受け流した。 いくらエマが違うと言ったところで、レオナールと同様に聞く耳を持たないのは分かっている。 「まったく、けがれた平民に見舞いの品など、王太子殿下もお情けが過ぎますわ! 受け取りを確認するなんて……!」 侍女長は怒りに顔を歪め、その場にいた侍女に命じて見舞い品を持ってこさせた。ナタリナに向かって、投げ捨てるように渡す。 「もっておいき。王太子殿下に余計なことを話したら、容赦しませんよ!」 侍女長はエマヌエーレのものを奪っておきながら、詫びることもなく、脅しをかけてくる。レオナールに近い人物ほど、卑劣で陰険だ。 「はい」 エマは頷いただけで、反論はしない。 「侍女長。私は王子殿下の婚約者としての公務を、全うさせて頂きます」 エマはしおらしく答えると、逃げるように離れへ戻った。 しかしナタリナは、離れの部屋に戻るなり、侍女長への怒りを露わにする。 「毎度毎度、無礼な女ですわ! エマ様への贈り物を横取りしたあげく、非難するなんて!」 「ナタリナ、いいよ。侍女長が王子びいきなのは、今に始まったことじゃないんだから」 「エマ様はお優しすぎますわ!」 「ナタリナが、代わりに怒ってくれるからだよ」 エマが微笑むと、ナタリナが表情を緩める。 そして、エマを優しく抱きしめた。 「エマ様……必ず、私がここから出して差し